2014/09/16

40 weeks 3 days 陣痛

「記録をとってくれ」といって、彼に渡したカメラ、
入院時は笑顔なんて振りまいて写っていましたが、
さすがに入院二日目はちょっと掲載できないくらい酷い有様でした。

最終的には「もう撮らないで」という始末。そりゃそうだ。

2日目は朝も昼も夜も ごはんなんて食べられるわけもなく、
声を出さないと耐えられない痛みが続き、
なんとか体勢をイロイロ変えては耐えるのですが、

なかなか全開にならない子宮口、終わりが見えないのが辛・・・・

時間と共に体力を消耗するばかり。

妊娠すると、「お産はホント人それぞれ!」なんて言うけど、
いざ陣痛が始まると「みんなこれに同じように耐えてきたんだからがんばりなさい」
的な事を言われます。


いや、みんな同じようにって・・・・
ある程度平均的なペースでお産が進んでいるならイイとは思いますが、


太っている人や、胎児が成長しすぎた場合、背が小さい人や、
血圧が高めの人、緊急帝王切開になる場合、安産型体型の人、
その他にもイロイロ、同じか???

症状、状態、体質に合わせて、それぞれに合った方法ってありますよね。

生理痛だって、全く無い人もいれば、毎月意識が飛ぶくらい酷い人がいて、
それを「みんな一緒なんだからがんばりなさい」って言うやつは、まじでクソだと思う。

妊娠中つわりで家事ができない時、「○○の奥さんは臨月まで働いてたよ?」
とか言っちゃうアホ夫並みにデリカシーのないクソだと思う(※我が家の話ではありません)。

だったら「みんな手があって指があって同じなのに、
どうしてピアノが弾けないの?(嘲笑)」って私も言いたいわ(ナイわ)。

「陣痛がきて、子宮口が開いて、赤ちゃん誕生」って言えば一緒ですが、
それが3時間なのか、平均時間の12時間なのか、それ以上なのか、


・・・・・・同じ?汗


だからって、「陣痛○時間だからそっちの方が偉い」とかじゃないですけど、
3時間で産んだ体力と、長時間の陣痛で使うエネルギーは同じじゃないはずです。

そんな中、破水をしてからかなり時間がたってしまったという事で、
早朝に二度目の抗生剤点滴、そのあと陣痛促進剤の投与が始まりましたが、
痛みばかりが増すばっかりで、子宮口はまだ全開にならず・・・・

助産師さんのアドバイスや励ましを胸に、なんとか耐えていましたが、
入院から24時間たった16日夕方、最終段階に達した痛みと共に、
さすがに精神的にも体力的にも振りきれました。


まじで誰とも目を合わせない、合わせたとしてもガンつける(本能剥き出し)、


痛み逃がしの呼吸法も、声を出すにしてもできるだけ低い声で
静かに吐く息とともに発声するのがベストなのですが、

息も声も上がりまくりで、体勢をイロイロかえても何も効かず、
夕方、3度目の抗生剤の点滴が始まり、


もう・・・、気力が・・・・・・・・・・(遠


毎日楽しく観ていた「めばえ」も、
さすがに聞こえるのも受け付けなくなって、
なんとなくつけておいてもらったテレビですが、
「めばえ」の直前でチャンネルをかえてもらいました。


「終りのない陣痛なんてない」と信じて、耐えてきましたが、


さすがにこのまま続けても、いざ子宮口全開になってから、
さあいきむぞ!って・・・・・・・、てかいつ子宮口全開になるのよ、
このペースだと明日?だとしたらまだ12時間くらいは先なのか?
産まれるのは明日の昼か、どうなんだ?わからん。
そんなとこまで頑張れても、最後の最後、
今まで以上の力をつかって私はいきめるのか?


・・・・・・・・終りが見えない


このままではいきむどころか、
意識が飛んで緊急帝王切開なんて事態もあり得る・・・


入院して27時間、真っ白な顔、青いくちびるで、
初めて夫に「もうむり」とかすかな声で弱音を吐きました。


「りえこちゃんに電話して」
義姉に相談したいのは、「無痛分娩」について。

日本では自然論、根性論が強く、
処置料も10万ちょいかかるので利用する人の話はあまり聞きませんが、
わたしもまさか自分が、と思っていました。。


薄れゆく意識の中、ふと「無痛分娩」という方法が頭に浮かび、
夫に電話でこの処置について義姉に聞いてもらう事に。

「無痛分娩」と聞いて、「全く痛みのない楽なお産を」イメージすると思いますが、
実は無痛ではなく、あえて言うなら「和通分娩」、麻酔で痛みを若干和らげる方法です。
後日調べたら、やはり長時間の陣痛で体力を消耗した場合に有効な手段だそうです。

何を話していたのかはわかりませんでしたが、
後日談によると、イロイロ教えてもらった他に、
「しっかりしなさい!」と、かなり叱咤激励されたそうです。

「まさこちゃんがそうしたいなら、お金の事なんてどうでもいいから、
だまってその気持ちを医者に伝えなさい!」


夫も長い間私に付き添っていて、イライラした私の相手をし、
かなり体力気力きつかった中、義姉に怒られ大変だったと思います(笑)。


そんな時、頼りになる義姉です。思い出すと涙が出ます。


夫は私がそうしたいならそうしよう!と言ってくれて、
気持ちは救われましたが、まだもう少し頑張ってみようという気持ちと、
迷う気持ちとで私がなかなか決断できず。


それから二時間、もう痛み逃がしに出す声も出なくなり、
目の前はチカチカするし、手は震えるし、今考えると末期ですね(汗、
ありのままのよくわからない体勢で数分置きの陣痛にされるがままにされ、


「無痛分娩・・・・、ごめ・・、先生、呼んで」と頼み、謝って、


21:00前に先生を呼んでもらいました。


本人の意思と言う事で変な説得もなく承諾、
麻酔処置の部分は、処置質が無機質で、
あんまり思い出したくないので書きません。

22:00に処置後、歩いて夫のいる分娩台へ移動。
真ん中に一見ベッドな分娩台(いざ分娩時、下半分が変形する)がある、
ごく普通の温かみのある部屋でした。

麻酔が効くまで二時間待ち、
だんだん陣痛も冷静に受け止められるくらいに和らいできて、
意識もはっきり戻り、いきみ始めたのは日付が変わった頃でした。